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Yuri's Gardenの中心である新宅南庭について紹介します。
Yuri's Gardenの所在地 710-0816 岡山県倉敷市八王寺町31-1 地図はこちら、イオンモール倉敷の南東約250mです Yuri's Gardenの諸元 敷地は、ほぼ南北に長く、北よりに建物を配置していますので、南半分が庭になっています。 全敷地寸法は、下辺(西辺)43.1m、上辺(東辺)27.6m、高さ(東西辺の距離)13.4mの台形で、面積は、①473.7㎡(143.5坪)です。そこから、まず、建物およびその付属物(建屋10mx12m+ウッドデッキ2.4mx3.6m+バルコニー・玄関0.7mx6m=②132,8㎡)を除きます。さらに、駐車場や納屋(駐車場8mx8mx1/2+西納屋0.9mx15m+東納屋0,9mx10m=③54.5㎡)を除きます。 よって、庭の総面積は、①-②-③=286,4㎡(86.8坪)となります。これには、庭の通路やあずまや、さらには、新宅周りの東、西、北の帯庭とその通路も含んでいます。木々たちの鳥瞰図も参照ください。 Yuri's Gardenの小史 1980(昭和55)年裏の空地の半分に、義母のために平屋の住居を新築しました。南には、義母の見立てで、その佇まいに見合った小さな和風の庭をあしらいました。東は、小さな花壇と菜園です。空地の残り半分は、裸地のまま、貸駐車場になりました。数年後、義母が亡くなり、庭の主は、私に代わりました。庭は、和風から洋風へしだいにシフトしていきます。はなれは夫の「開発室」へ衣替えしていきます。一方、貸駐車場は、管理上、草取りを怠るわけにもいかず、休日の労働奉仕に疲れ果ててしまいました。 1997(平成9)年アスファルトで舗装し、やっと労働から解放されました。そのついでに、庭を全面的にリニューアルしました。Yuri's Gardenの誕生です。平屋の東と南の庭、コンテナの庭でのスタートでした。2003(平成15)年夫は退職し「パソコンの修理屋を起業する」としてその準備に中古パソコンを何十台も購入しました。はなれは、その倉庫に変容します。「倉庫になっている」と指摘する私に、あくまで開発室だと頑強に主張していました。そこの便所を水洗化するために、アスファルト舗装の貸駐車場を対角に掘削しました。その掘削跡を1m幅10m長の花壇にしつらえました。花壇の長手方向の中央に1m角の突出も掘削しました。 ここまでが旧庭・・・ 2006(平成18)年私の退職を機に夫婦で終の棲家を!と思い立ち、先の平屋跡に2階建ての住居を新築しました。一回り大きくなった敷地の余波で、東の庭は少し手狭になりましたが、南の庭へ期待は膨らみます。これからが新庭・・・ 2007(平成19)年つぎの年、初春から先の対角花壇を含みこむように、新しく南の庭を造りはじめました。業者の手でアスファルトを剥ぎ取りサンドで埋め戻し更地にしていただきました。その後は、夫と2人だけの共同作業です。知人から貰い受けた畑土とサンドを混合して用土作り、購入した2.2m長の枕木50本を切り刻んで花壇縁作り! 約3ヶ月、頑張りました。晩春に、夫は、6角屋根のあずまやを建造し、ほぼ庭の中央に設置しました。2008(平成20)年~2009(平成21)年花壇スペースの不足を補うため、住居よりあずまやに向かう中央通路を廃し花壇に作り直しました。あずまや側の立水栓のスペースを残して、約0.9m巾4m長の花壇の追加です。ついで、西にあるセリ田のブロック塀と道路の間の0.3m巾10m長の涸溝を管理を条件にHさんより借り受けました。用土を入れて、道路沿い帯庭として、これも花壇の追加です。さらに、2009年には、中央通路の残り=あずまやから道路までを花壇にしました。0.9m巾2m長の花壇も追加しました。 |
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