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自己紹介 庭々 南庭
はじめまして、庭の主(あるじ)の平松由里子です、おばさんガーデナーです。
   1979(昭和54)年に、岡山市から倉敷市八王寺町にきました。そのころは、小さな庭で義母が菊や野菜を作っていました。わたしは、切り花にして家のあちこちに飾って楽しむだけで満足でした。家の新築やリフォームなど、家に手が入るたびに、庭は増えていきました。私の庭の遍歴は5期に渡ります。

1期:1984~1993

 4年目に義母が亡くなり、彼女に代わって、彼女の住んでいた平屋周りの小さな庭の主になりました。家の南には、松や垣根代わりのサザンカ・カリン・ロウバイ・イチジクなどの木々が植えてありました。東には、ジャガイモ・タマネギなどの菜園、チューリップ・水仙・花ニラなどの花壇や菊畑もありました。野菜よりは花の方が好きなので、野菜を止めていろんな草花に植え替え始めました。東という好立地が幸いして、草花たちは予想以上によく咲いてくれ、「きれいじゃ、きれいじゃ」と自己満足しながら、サルビアやミックスフラワーなど次々と蒔いていきました。
 その一方で、大変な庭仕事がありました。垣根の南には、庭の延長として約70坪の裸地の貸駐車場があり、その雑草抜きです。 「土日曜日はガーデニング」というより、その時間は専ら除草労働に当てられました。雑草とは、「人間が撹乱した土地に最初に生育する草」が定義のようですが、雑草を抜いて土地を撹乱すればそこには必ず雑草が生えるのです、そのイタチゴッコを10数年やりました。

2期:1994~1996

 1994(平成6)年、旧宅をリフォームしました。まず、義父母の時代に南に増築した部分をそのままに、お隣と棟続き(長屋)の北側部分のみを木造3階建てにしました。これで玄関周りが奇麗になりました。北向きなので、日当たりはよくありません、日当たりがなくても育つ花を選んで、コンテナガーデンとして、今も利用しています。続いて、南側の増築部分を補強し、部屋の内部をリフォームし、その南の小庭も手入れしました。そこには、アカンサスやチューリップなどの球根やワスレナグサなどを植えました。

3期:1997~2002

 南の裸地の貸駐車場をアスファルト舗装しました。やっと、除草労働から解放されました。このとき、庭木のいくつかを整理して本格的 なガーデニングがはじまります。Yuri's Gardenの誕生です。借り手の見つからない駐車スペースは、コンテナガーデンとしました。オリーブの苗木やエニシダなどの木々も植えました。インコを飼いはじめたのは、このごろです。その鳥小屋の周りにパンジーなどをハンギングにして飾ったりしました。

4期:2003~2005

 トイレの水洗化のため、駐車場を対角に掘削しました。その掘削跡を花壇としました。三角の空地は駐車スペースとして使えなくなり、思い切って、その一部を方形に追加掘削して、ここも花壇にしました。ここに植えたのがユリノキです。このとき、駐車場全体を庭にしようというプランはまったくありませんでした。

5期:2006~

 義母の住まいとして建築した平屋は、義母亡きあと、ずっと夫の開発室として活用していましたが、わたしの退職を機に夫婦で終の棲家を!と思い立ち、平屋を壊して新築することにしました。そして、駐車場は必要部分を残して、すべて庭にすることに決めました。3~4期 で育ててきたものの、工事に伴って植栽場所を奪われる木々は、80リットルのプラスチック鉢に植え替え、工事後植え直しました。鉢に納まりきらない、オリーブやイチジクなどの大木は断念しました。
 新宅竣工が秋の終わり、春には庭の造成をはじめることができそうです。うれしくて、うれしくて、あらためて敷地を眺めながら、冬の間、庭のデザインを何度も繰り返しました。対角花壇をそのまま生かす工夫とあずまやはその中で案出したアイデアです。もとより、工事技量に左右されて、デザインどおりにはなっていませんが・・・。
 思い通りにできる庭を手に入れた喜びで、せっせと木々や草花を購入し植えはじめました。でも、多くの木々や草花は、庭仕事に精出すわたしに声をかけてくれる方々が、互いに花好きと知って、提供してくださったものです。逆に、わたしも掘りあげた球根や株分けした苗は花友達や通りがかりの方々に持ち帰っていただいています。 枯れてしまった木が、里子先から里帰りしたこともあります。
 庭仕事って、陽に焼けてお肌の大敵ですが、そんなこと全然どうでもいいことで、おもしろくて夢中になれます。

Copyright(C) 2014 Yuri's Garden

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